こで保胤は是非無く御答え申上げた。斉名が文は、月の冴えたる良き夜に、やや古りたる檜皮葺《ひわだぶき》の家の御簾《みす》ところどころはずれたる中《うち》に女の箏《そう》の琴弾きすましたるように聞ゆ、と申した。以言はと仰せらるれば、白沙の庭前、翠松《すいしょう》の陰の下に、陵王の舞楽を奏したるに似たり、と申す。大江ノ匡衡《まさひら》は、と御尋ねあれば、鋭士数騎、介冑《かいちゅう》を被《こうむ》り、駿馬《しゅんめ》に鞭《むち》打《う》って、粟津の浜を過ぐるにも似て、其|鉾《ほこさき》森然《しんぜん》として当るものも無く見ゆ、と申す。親王興に入りたまいて、さらば足下《そなた》のは、と問わせたまうに、旧上達部《ふるかんだちべ》の檳榔毛《びろうげ》の車に駕《の》りたるが、時に其声を聞くにも似たらん、と申した。長短高下をとかく申さで、おのずから其詩品を有りのままに申したる、まことに唐の司空図《しくうと》が詩品にも優りて、いみじくも美わしく御答え申したと、親王も御感《ぎょかん》あり、当時の人々も嘆賞したのであった。斉名、以言、匡衡、保胤等の文、皆今に存しているから、此評の当っているか、いぬかは、誰にで
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