、928−中−18]之輩[#一]《たれびとかぞうがをもつてきうあいのはいとなり》、|啓[#二]達后※[#「門<韋」、第4水準2−91−59][#一]乎《こうゐにけいたつするものとなすか》、と麁語を訳しているが、これも髣髴《ほうふつ》たるに至らず、訳して真を失っている。仕方が無い。匡房の才の拙なるにあらず、増賀の狂の甚しきのみと言って置こう。釈迦《しゃか》の弟子の中で迦留陀夷《かるだい》というのが、教壇の上で穢語《えご》を放って今に遺り伝わっているが、迦留陀夷のはただ阿房《あほ》げているので、増賀のは其時既に衰老の年であったが、ふたたび宮※[#「門<韋」、第4水準2−91−59]などに召出されぬよう斬釘截鉄的《ざんていせってつてき》に狂叫したのだとも云えば云えよう。実に断岸絶壁、近より難い、天台禅ではありながら、祖師禅のような気味のある人であった。
此の断岸絶壁のような智識に、清浅の流れ静かにして水は玉の如き寂心が魔訶止観《まかしかん》を学び承《う》けようとしたのであった。止観は隋《ずい》の天台智者大師の所説にして門人|灌頂《かんじょう》の記したものである。たとい唐の※[#「田+比」、
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