僧である。
かかる狂気《きちがい》じみたところのある僧であったから、三条の大きさいの宮の尼にならせ給わんとして、増賀を戒師とせんとて召させたまいたる時、途轍《とてつ》も無き※[#「鹿/(鹿+鹿)、第3水準1−94−76]言《そげん》を吐き、悪行をはたらき、殊勝の筵《えん》に列《つらな》れる月卿雲客、貴嬪采女《きひんさいじょ》、僧徒等をして、身|戦《おのの》き色失い、慙汗憤涙《ざんかんふんるい》、身をおくところ無からしめたのも、うそでは無かったろうと思われる。それを記している宇治拾遺《うじしゅうい》の巻十二の文は、ここに抄出するさえ忌《いま》わしいから省くが、虎関禅師は、出麁語《しゅっそご》の三字きりで済ませているから上品ではあるが事情は分らぬ。大江匡房は詞藻の豊な人であって、時代も近い人だったから、記せぬわけにもゆかぬと思って書いたのであろうが、流石《さすが》に筆鋒《ひっぽう》も窘蹙《きんしゅく》している。放臭風の三字を以て瀉下《しゃか》したことを写しているが、写し得ていない。|誰人以[#二]増賀[#一]為[#二]※[#「謬」の「言」に代えて「女」、928−中−18]※[#「士/毋」
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