参議|橘恒平《たちばなのつねひら》の子で、四歳の時につきものがしたように、叡山に上《のぼ》って学問をしよう、と云ったとか伝えられ、十歳から山へ上せられて、慈慧に就いて仏道を学んだ。聡明《そうめい》驚くべく、学は顕密を綜《す》べ、尤《もっと》も止観に邃《ふか》かったと云われている。真の学僧|気質《かたぎ》で、俗気が微塵《みじん》ほども無く、深く名利《みょうり》を悪《にく》んで、断岸絶壁の如くに身の取り置きをした。元亨釈書《げんこうしゃしょ》に、安和の上皇、勅して供奉《ぐぶ》と為す、佯狂垢汗《ようきょうこうかん》して逃れ去る、と記しているが、憚《はばか》りも無く馬鹿げた事をして、他に厭《いと》い忌まれても、自分の心に済むように自分は生活するのを可なりとした人であった。自分の師の慈慧が僧正に任ぜられたので、宮中に参って御礼を申上げるに際し、一山の僧侶《そうりょ》、翼従甚だ盛んに、それこそ威儀を厳荘にし、飾り立てて錬り行った。一体本来を云えば樹下石上にあるべき僧侶が、御尊崇下さる故とは云え、世俗の者共|月卿雲客《げっけいうんかく》の任官謝恩の如くに、喜びくつがえりて、綺羅《きら》をかざりて宮廷
前へ 次へ
全120ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング