の態度を取って支那に渡るに及んでいるほどであるから、寂心源信の間には、日ごろ経律《きょうりつ》の論、証解《しょうげ》の談が互に交されていたろうことは想いやられる。勿論文辞に於ては寂心に一日の長があり、法悟に於ては源信に数歩の先んずるものが有ったろうが、源信もまた一乗要訣、往生要集等の著述少からず、寂心と同じように筆硯《ひっけん》の業には心を寄せた人であった。
 寂心は弥陀《みだ》の慈願によって往生浄土を心にかけたのみの、まことに素直な仏徒ではあったが、此時はまだ後の源空以後の念仏宗のような教義が世に行われていたのでなく、したがって捨閉擱抛《しゃへいかくほう》と、他の事は何も彼も擲《なげう》ち捨てて南無阿弥陀仏一点張り、唱名三昧に二六時中を過したというのではなく、後世からは余業雑業《よごうざつごう》と斥《しりぞ》けて終《しま》うようなことにも、正道正業《しょうどうしょうごう》と思惟《しゆい》さるる事には恭敬心《くぎょうしん》を以て如何にも素直にこれを学び之を行《ぎょう》じたのであった。で、横川に増賀の聖が摩訶止観《まかしかん》を説くに当って、寂心は就いて之を承《う》けんとした。
 増賀は
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