からは、愈々精神を抖※[#「てへん+數」、第3水準1−85−5]《とそう》して、問法|作善《さぜん》に油断も無かった。伝には、諸国を経歴して広く仏事を作《な》した、とあるが、別に行脚の苦修談《くじゅだん》などは伝えられていない。ただ出家して後わずかに三年目には、自分に身を投げかけて来た者を済度して寂照という名を与えた。此の寂照は後に源信の為に宋に使《つかい》したもので、寂心と源信とはもとより菩提《ぼだい》の友であった。源信の方が寂心よりは少し年が劣って居たかも知らぬが、何にせよ幼きより叡山《えいざん》の慈慧に就いて励精刻苦して学び、顕密|双修《そうじゅ》、行解《ぎょうげ》並列の恐ろしい傑物であった。此の源信と寂心との間の一寸面白い談《はなし》は、今其の出処を確記せぬが、閑居之友であったか何だったか、何でも可なり古いもので見たと思うのである。記憶の間違だったら抹殺して貰わねばならぬが。
 或時寂心は横川の慧心院《えしんいん》を訪《と》うた。院は寂然《じゃくねん》として人も無いようであった。他行であるか、禅定であるか、観法であるか、何かは知らぬが、互に日頃から、見ては宜からぬ、見られては宜
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