都《そうず》、皆いずれも当時の高僧で、しかも保胤には有縁《うえん》の人であったし、其他にも然るべき人で得度させて呉れる者は沢山有ったろうが、まさか野菜売りの老翁が小娘を失った悲みに自剃《じぞ》りで坊主になったというような次第でもあるまいに、更に其噂の伝わらぬのは不思議である。匡房が続往生伝には、子息の冠笄《かんけい》纔《わずか》に畢《おわ》るに及んで、遂に以て入道す、とあるばかりだ。それによれば、何等の機縁が有ったのでも無く、我児が一人で世に立って行かれるようになったので、予《かね》ての心願に任せて至極安穏に、時至って瓜が蔕《へた》から離れるが如く俗世界からコロリと滑り出して後生願い一方の人となったのであろう。保胤の妻及び子は何様《どん》な人であったか、更に分らぬ。子は有ったに相違ないが、傍系の故だか、加茂氏系図にも見当らぬ。思うに妻も子も尋常無異の人で、善人ではあったろうが、所謂《いわゆる》草芥《そうかい》とともに朽ちたものと見える。
 保胤は入道して寂心となった。世間では内記の聖《ひじり》と呼んだ。在俗の間すら礼仏誦経《らいぶつじゅきょう》に身心を打込んだのであるから、寂心となって
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