ゅしょう》の撰者の源|順《したがう》は死んだ。順も博学能文の人であったが、後に大江匡房が近世の才人を論じて、橘《たちばな》ノ在列《ありつら》は源ノ順に及ばず、順は以言と慶滋保胤とに及ばず、と断じた。保胤と順とは別に関渉は無かったが、兎死して狐悲む道理で、前輩知友の段々と凋落《ちょうらく》して行くのは、さらぬだに心やさしい保胤には向仏の念を添えもしたろう。世の中は漸《ようや》く押詰って、人民安からず、去年は諸国に盗賊が起り、今年は洛中《らくちゅう》にて猥《みだ》りに兵器を携うるものを捕うるの令が出さるるに至った。これと云って保胤の身近に何事が有ったわけでは無いが、かねてからの道心|愈々《いよいよ》熟したからであろう。保胤は遂に寛和二年を以て、自分が折角こしらえた繭を咬《かみ》破《やぶ》って出て、落髪出家の身となって終《しま》った。戒師は誰であったか、何《ど》の書にも見えぬが、保胤ほどの善信の人に取っては、道の傍《かたえ》の杉の樹でも、田の畦《あぜ》の立杭《たちぐい》でも、戒師たるに足るであろうから、誰でも宜かったのである。多武峰《とうのみね》の増賀上人、横川《よかわ》の源信《げんしん》僧
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