《ぼさつ》の引接《いんじょう》を承《う》けた善男善女の往迹《おうじゃく》を物しずかに記した保胤の旦暮《あけくれ》は、如何に塵界《じんかい》を超脱した清浄三昧《しょうじょうさんまい》のものであったろうか。此往生極楽記は其序に見える通り、唐の弘法寺《ぐほうじ》の僧の釈迦才《しゃくかさい》の浄土論中に、安楽往生者二十人を記したのに傚《なら》ったものであるが、保胤往生の後、大江匡房《おおえのまさふさ》は又保胤の往生伝の先蹤《せんしょう》を追うて、続本朝往生伝を撰《せん》している。そして其続伝の中には保胤も採録されているから、法縁|微妙《みみょう》、玉環の相連なるが如しである。匡房の続往生伝の叙に、寛和年中、著作郎慶保胤、往生伝を作りて世に伝う、とあるに拠れば、保胤が往生伝を撰したのは、正しく保胤が脱白|被緇《ひし》の前年、五十一二歳頃、彼の六条の池亭に在った時ででもあったろう。
保胤が池亭を造った時は、自ら記して、老蚕の繭《まゆ》を成せるがごとしと云ったが、老蚕は永く繭中《けんちゅう》に在り得無かった。天元五年の冬、其家は成り、其記は作られたが、其翌年の永観元年には倭名類聚抄《わみょうるいじ
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