てなり、と記している。竹林の七賢は、いずれ洒落《しゃれ》た者どもには相違無いが、懐中に算籌《さんちゅう》を入れていたような食えない男も居て、案外保胤の方が善いお父さんだったか知れない。是《かく》の如く叙し来ったとて、文海の蜃楼《しんろう》、もとより虚実を問うべきではないが、保胤は日々|斯様《こう》いう人々と遇っているというのである。そして、近代人世の事、一《いつ》も恋《した》うべき無し、人の師たるものは貴を先にし富を先にして、文を以て次《じ》せず、師無きに如《し》かず、人の友たる者は勢を以てし利を以てし、淡を以て交らず、友無きに如かず、予門をふさぎ戸を閉じ、独り吟じ独り詠ず、と自ら足りて居る。応和以来世人好んで豊屋峻宇《ほうおくしゅんう》を起し、殆ど山節|藻※[#「木+兌」、第3水準1−85−72]《そうせつ》に至る、其費且つ巨千万、其住|纔《わずか》に二三年、古人の造る者居らずと云える、誠なるかな斯言《このげん》、と嘲《あざけ》り、自分の暮歯に及んで小宅を起せるを、老蚕の繭《まゆ》を成すが如しと笑い、其の住むこと幾時ぞや、と自ら笑って居る。老蚕の繭を成せる如し、とは流石に好かった。此
前へ
次へ
全120ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング