にすると云い、富める者は産業を傾け、貧者は家資を失う、と既に其弊の見《あら》わるるを云って居る。物価は騰貴をつづけて、国用漸く足らず、官を売って財に換うるのことまで生ずるに至ったことは、同封事第二条に見え、若《も》し国用を憂うならば則《すなわ》ち毎事必ず倹約を行え、と文時をして切言せしめている。爾後《じご》二十余年、世態|愈々《いよいよ》変じて、華奢増長していたろうから、保胤のようなおとなしい者の眼からは、倹約安民の上を慕わしく思ったのであろう。次に、唐の白楽天を異代の師と為す、詩句に長じて仏法に帰するを以てなり、と記している。白氏を詩宗《しそう》としたのは保胤ばかりでなく、当時の人皆然りであった。ただ保胤の白氏を尊ぶ所以《ゆえん》は、詩句に長じたからのみではなく、白氏の仏法に帰せるに取るあるのである。ところが白氏は台所婆なぞを定規にして詩を裁《た》った人なので、気の毒に其の益をも得たろうが其弊をも受け、又白氏は唐人の習い、弥勒菩薩《みろくぼさつ》の徒であったろうに、保胤は弥陀如来《みだにょらい》の徒であったのはおかしい。次に、晋朝の七賢を異代の友と為す、身は朝に在って志は隠に在るを以
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