の主と為す、と云っているのは、腑に落ちぬ言だが、其後に直《ただち》に、倹約を好みて人民を安んずるを以てなり、とある。一体異代の主というのは変なことであるが、心裏に慕い奉《まつ》る人というほどのことであろう。倹約を好んで人民を安んずる君主は、真に学ぶべき君主であると思っていたからであろうか、何も当時の君主を奢侈《しゃし》で人民を苦める御方《おんかた》と見做《みな》す如き不臣の心を持って居たでは万々《ばんばん》あるまい、ただし倹約を好み人民を安んずるの六字を点出して、此故を以て漢文を崇慕するとしたに就ては、聊《いささ》か意なきにあらずである。それは此記の冒頭に、二十余年以来、東西二京を歴見するに、云々《うんぬん》と書き出して、繁栄の地は、高家比門連堂、其価値二三畝千万銭なるに至れることを述べて居るが、保胤の師の菅原文時が天暦十一年十二月に封事三条を上《たてまつ》ったのは、丁度二十余年前に当って居り、当時文化日に進みて、奢侈の風、月に長じたことは分明《ぶんみょう》であり、文時が奢侈を禁ぜんことを請うの条には、方今高堂連閣、貴賎共に其居を壮《さかん》にし、麗服美衣、貧富同じく其製を寛《ゆたか》
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