たろう。でも公事に急《せ》かれては其《その》儘《まま》には済まされぬので、保胤の面目《めんぼく》無《な》さ、人々の厄介千万さも、御用の進行の大切《だいじ》に押流されて了って人々に世話を焼かれて、御くらの小舎人《こどねり》とかに帯を借りて、辛くも内に入り、公事は勤め果《おお》したということである。
 此の物語は疑わしいかどもあるが、まるで無根のことでも無かろうか。何にせよ随分突飛な談《はなし》ではある。しかし大に歪められた談にせよ、此談によって保胤という人の、俗智の乏しく世法に疎かったことは遺憾無く現わされている。これでは如何に才学が有って、善良な人であっても、世間を危気無しには渡って行かれなかったろうと思われるから、まして官界の立身出世などは、東西|相《あい》距《さ》る三十里だったであろう。
 斯様《かよう》な人だったとすれば、余程俗才のある細君でも持っていない限りは家の経済などは埒《らち》も無いことだったに相違無い。そこで志山林に在り、居宅を営まず、などと云われれば、大層好いようだが、実は為《しょ》うこと無しの借家住いで、長い間の朝夕《ちょうせき》を上東門の人の家に暮していた。それで
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