助したのか知らぬが、有力な檀那《だんな》が附かなくては、寂照も長く他邦には居れまいから、其事は実際だったに違無い。
 丁謂は蘇州長州の人、少《わか》い時|孫何《そんか》と同じく文を袖《そで》にして王禹※[#「稱」の「のぎへん」に代えて「人べん」、第3水準1−14−35]《おううしょう》に謁したら、王は其文を見て大に驚き、唐の韓愈《かんゆ》、柳宗元の後三百年にして始めて此作あり、と褒めたという。当時孫・丁と称されたということだが、孫、丁の名は少し後に出た欧陽修・王安石・三蘇の名に掩《おお》われて、今は知る者も少い。淳化三年進士及第して官に任じて、其政事の才により功を立てて累進して丞相《じょうしょう》に至り、真宗の信頼を得、乾興元年には晋国公に封《ほう》ぜらるるに至った。蘇州節度使だった時、真宗の賜わった詩に、

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践歴《せんれき》 功皆|著《いちじる》しく、諮詢《しじゆん》 務《つとめ》必ず成《な》す。
懿才《いさい》 曩彦《なうげん》に符《ふ》し、佳器《かき》 時英《じえい》を貫《つらぬ》く。
よく経綸《けいりん》の業を展《の》べ、旋《めぐり》陞《のぼ》る輔弼《ほ
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