ひつ》の栄《えい》。
嘉享《かきやう》 盛遇《せいぐう》を忻《よろこ》び、尽瘁《じんすゐ》純誠《じゆんせい》を※[#「馨」の「香」に代えて「缶」、第4水準2−84−70]《つく》す。
[#ここで字下げ終わり]

の句がある。これでは寇準《こうじゅん》の如き立派な人を政敵にしても、永い間は勝誇った訳である。政治は力を用いるよりも智を用いるを主とし、法制よりも経済を重んじ、会計録というものを撰して上《たてまつ》り、賦税《ふぜい》戸口《ここう》の準を為さんことを欲したという。文はもとより、又詩をも善くし、図画、奕棋《えきき》、営造、音律、何にも彼《か》にも通暁して、茶も此人から蔡嚢《さいじょう》へかけて進歩したのであり、蹴鞠《しゅうきく》にまで通じていたか、其詩が温公詩話と詩話総亀とに見えている。真宗崩じて後、其|后《きさき》の悪《にくし》みを受け、擅《ほしいまま》に永定陵を改めたるによって罪を被《こうむ》り、且つ宦官《かんがん》雷允恭《らいいんきょう》と交通したるを論ぜられ、崖州に遠謫《えんたく》せられ、数年にして道州に徙《うつ》され、致仕して光州に居りて卒《しゅつ》した。つまり政敵にたた
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