るが、不思議因縁で寂心の弟子寂照が独り唐土に渡ったのである。※[#「大/周」、第3水準1−15−73]然は印度へ行くのは止めて、大蔵《だいぞう》五千四十八巻及び十六羅漢像、今の嵯峨|清涼院《しょうりょういん》仏像等を得て、寛和元年に帰朝したのであった。それより後《のち》十六七年にして寂照は宋に入ったのであるが、寂照は人品学識すべて※[#「大/周」、第3水準1−15−73]然には勝《まさ》って見えたので、彼土《かのど》の人々も流石《さすが》に神州の高徳と崇敬《そうけい》したのであった。で、知礼は寂照を上客として礼遇し、天子は寂照を延見せらるるに至った。宋主が寂照を見たまうに及びて、我が日本の事を問いたもうたので、寂照は紙筆を請いて、我が神聖なる国体、優美なる民俗を答え叙《の》べた。文章は宿構の如くに何の滞るところも無く、筆札は遒麗《しゅうれい》にして二王の妙をあらわした。それは其筈で、何もこしらえ事をして飾り立てて我国のことを記したのでもなく、詞藻はもとより大江の家筋を受けていた定基法師であり、又|翰墨《かんぼく》の書は空海《くうかい》道風《とうふう》を去ること遠からず、佐理《さり》を四
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