を、おかしと思うたが、年頃は忘れたに、今日思い出られたれば、それ学びて見たまで、とケロリとしていた。九十に近い老僧が瘠《や》せ枯《から》びた病躯《びょうく》に古泥障を懸けて翼として胡蝶の舞を舞うたのであった。死に瀕《ひん》したおぼえのある人は誰も語ることだが、将《まさ》に死せんとする時は幼き折の瑣事《さじ》が鮮やかに心頭に蘇《よみが》えるものだという。晴れた天《そら》の日の西山に没せんとするや、反って東の山の山膚《やまはだ》までがハッキリと見えるものだ。増賀上人の遥に遠い東の山には仔細らしい碁盤や滑稽《こっけい》な胡蝶《こちょう》舞、そんな無邪気なものが判然《はっきり》と見えたのであろう。然し其様《そん》なことを見ながらに終ったのではない、最期の時は人を去らせて、室内|廓然《かくねん》、縄床に居て口に法花経《ほけきょう》を誦《じゅ》し、手に金剛の印を結んで、端然《たんねん》として入滅したということである。布袋《ほてい》や寒山の類を散聖というが、増賀も平安期の散聖とも云うべきか。いや、其様な評頌《ひょうしょう》などは加えぬでもよい。
寂照は宋に入って、南湖の知礼に遇い、恵心の台宗問目二
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