、遂に成就したと思ったのは、何処《どこ》に身を置いて寝ても、寝たところの屋《や》の上に夜半頃になればきっと鴟《ふくろう》が来て鳴いたし、また路を行けば行く前には必ず旋風《つじかぜ》が起った。とこういうことを語ったという。鴟は天狗の化するものであるとされていたのである。前に挙げた僧正遍照も天狗の化した鴟を鉄網に籠めて焼いたのである。屋の上で鴟の鳴くのは飯綱の法成就の人に天狗が随身|伺候《しこう》するのである意味だ。旋風の起るのも、目に見えぬ眷属《けんぞく》が擁護して前駆《ぜんく》するからの意味である。飯綱の神は飛狐《ひこ》に騎《の》っている天狗である。
こういう恐ろしい飯綱成就の人であった植通は、実際の世界においてもそれだけの事はあった人である。
織田信長が今川を亡ぼし、佐※[#二の字点、1−2−22]木、浅井、朝倉をやりつけて、三好、松永の輩《はい》を料理し、上洛して、将軍を扶《たす》け、禁闕《きんけつ》に参った際は、天下皆鬼神の如くにこれを畏敬した。特《こと》に癇癖《かんぺき》荒気《あらき》の大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛《てんゆ》して、あたかも古《いにしえ》の木曾|義仲《よしなか》の都入りに出逢ったようなさまであった。それだのに植通はその信長に対して、立ったままに面とむかって、「上総《かずさ》殿か、入洛《じゅらく》めでたし」といったきりで帰ってしまった。上総殿とは信長がただこれ上総介《かずさのすけ》であったからである。上総介では強かろうが偉かろうが、位官の高い九条植通の前では、そのくらいに扱われたとて仕方のない談《はなし》だ。植通は位官をはずかしめず、かつは名門の威を立てたのである。信長の事だから、是《かく》の如き挨拶で扱われては大むくれにむくれて、「九条殿はおれに礼をいわせに来られた」と腹を立って、ぶつついたということである。信長の方では、天下を掃清《そうせい》したのである、九条殿に礼をいわせる位の気でいたろう。が、これはさすがに飯綱の法の成就している人だけに、植通の方が天狗様のように鼻が高かった。公卿にも一人くらいはこういう毅然たる人があって宜《よ》かったのである。
木下秀吉が明智を亡ぼし、信長の後を襲《つ》いで天下を処理した時の勢《いきおい》も万人の耳目を聳動《しょうどう》したものであった。秀吉は当時こういうことをいい出した。自分は天の冥加《
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