心忙しく進ましむ。明戸を出はずるる頃、小さき松山の行く手にありて、それにかかれる坂路の線《いと》の如くに翠の影の中に入れるさま、何の事はなけれど繕《つくろ》わぬ趣ありておもしろく見えければ、寒月子はこれを筆に写す。おとう坂というところとかや。菅沼というにかかる頃、暑さ堪えがたければ、鍛冶する片手わざに菓子などならべて売れる家あるを見て立寄りて憩《いこ》う。湯をと乞うに、主人《あるじ》の妻、少時待ちたまえ、今沸かしてまいらすべしとて真黒なる鉄瓶に水を汲み入るれば、心長き事かなと呆《あき》れて打まもるに、そを火の上に懸るとひとしく、主人|吹革《ふいごう》もて烈《はげ》しく炭火を煽《あお》り、忽地にして熱き茶をすすめくれたる、時に取りておかしくもまた嬉しくもおぼえぬ。田中という村にて日暮れたれば、ここにただ一軒の旅舎《やど》島田屋というに宿る。間《あい》の宿《しゅく》とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美《うま》からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎《あゆ》を得たれば、小酌《しょうしゃく》に疲れを休めて快く眠る。夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕
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