深谷まで汽車にて行き越し、そこより馬車の便りを仮《か》りて寄居に至り、中仙道通りの路に合する路を人の取ることも少からずと聞く。同じ汽車にて本庄《ほんじょう》まで行き、それより児玉《こだま》町を経て秩父に入る一路は児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだしく迂《う》なるが如くなれども、馬車の接続など便よければこの路を取る人も少からず。上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石にかかり、渡良瀬《わたらせ》川を渡りて秩父に入るの一路もまた小径にあらざれど、東京よりせんにはあまりに迂遠《まわりどお》かるべし。我野、川越、熊谷、深谷、本庄、新町以上合せて六路の中、熊谷よりする路こそ大方《おおかた》は荒川に沿いたれば、我らが住家のほとりを流るる川の水上と思うにつけて興も多かるべけれと択び定め来しが、今この岐路《わかれじ》にしるべの碑のいと大きなるが立てられたるを見ては、あるが中にも正しき大路を取りたるかとおぼえて心嬉し。
 広瀬、大麻生、明戸などいえる村々が稲田桑圃の間を過ぎて行くうち、日はやや傾きて雨持つ雲のむずかしげに片曇りせる天《そら》のさま、そぞろに人をして暑さを厭《いと》う暇もなく
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