たと》えば糸を絡う用にすなる※[#「竹かんむり/隻」、第3水準1−89−69]子《いとわく》というもののいと大なるを、竿に貫《ぬ》きて立てたるが如し。何ぞと問うに、四方幕というものぞという。心得がたき名なり。
 石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山《ほどさん》道としるせる碑《いし》に対《むか》いあいて、秩父|三峰《みつみね》道とのしるべの碑立てり。径路《こみち》は擱《お》きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありともいうべきか。一つは青梅線の鉄道によりて所沢に至り、それより飯能《はんのう》を過ぎ、白子より坂石に至るの路《みち》なり。これを我野通《あがのどお》りと称えて、高麗《こま》より秩父に入るの路とす。次には川越《かわごえ》より小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、比企《ひき》より秩父に入るの路とす。中仙道熊谷より荒川に沿い寄居《よりい》を経て矢那瀬に至るの路を中仙道通りと呼び、この路と川越通りを昔時《むかし》は秩父へ入るの大路としたりと見ゆ。今は汽車の便《たより》ありて深谷《ふかや》より寄居に至る方、熊谷より寄居に至るよりもやや近ければ、
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