此山《ここ》にて醸《かも》せどその他は皆山の下より上すという。人馬の費《ついえ》も少きことにはあらざるべきに盛なることなり。この山|是《かく》の如く栄ゆるは、ここの御神の御使いの御狗というを四方の人々の参り来て乞い求むるによれり。御神は伊奘諾伊奘冊二柱の神にましませば申すもかしこし、御狗とは狼をさしていう。もとより御狗を乞い求むるとて符牘のたぐいを受くるには止まれど、それに此山《ここ》の御神の御使の奇しき力籠れりとして人々は恐れ尊むめり。狼の和訓おおかみといえるは大神の義にて、恐れ尊めるよりの称《となえ》なれば、おもうに我邦のむかし山里の民どもの甚《いた》く狼を怖れ尊める習慣《ならわし》の、漸くその故を失ないながら山深きここらにのみ今に存《のこ》れるにはあらずや。
 我邦には獅子虎の如きものなければ、獣には先ず狼熊を最も猛しとす。されば狼を恐れて大神とするも然るべきことにて、熊野は神野の義、神稲をくましねと訓《よ》むたぐいを思うに、熊をくまと訓むはあるいは神の義なるや知るべからず。(或曰、くまは韓語、或曰、くまは暈《くま》にて月の輪のくま也。)ただ狼という文字は悪《あし》きかたにのみ用
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