たる山の上を憂しともせず、口に糊するほどのことは此地《ここ》にのみいても叶えば、雲に宿かり霧に息つきて幾許《いくばく》もなき生命を生くという。おかしき男かなと思いてさまざまの事を問うに、極めて石を愛《め》ずる癖ある叟《おじ》にて、それよりそれと話の次《ついで》に、平賀源内の明和年中大滝村の奥の方なる中津川にて鉱《かね》を採《と》りし事なども語り出でたり。鳩渓の秩父にて山を開かんと企てしことは早くよりその伝説《いいつたえ》ありて、今もその跡といえるが一処ならず残れるよしなれば、ほとほと疑いなきことなるが、知る人は甚だ稀なるようなり。功利に急なりし人の事とて、あるいは秩父の奥なんどにも思いを疲らして手をつけ足を入れしならん。
按摩済む頃、袴を着けたる男また出で来りて、神酒を戴かるべしとて十三、四なる男《お》の児《こ》に銚子|酒杯《さかずき》取り持たせ、腥羶《なまぐさ》はなけれど式立ちたる膳部を据えてもてなす。ここは古昔《むかし》より女のあることを許さねば、酌するものなどすべて男の児なるもなかなかにきびきびしくて好し。神酒をいただきつつ、酒食のたぐいを那処《いずく》より得るぞと問うに、酒は
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