、久那、寺尾等秩父郡の村々には氷雨塚と称うるもの甚《はなは》だ多く、大野原には百八塚などいうものあり、また贄川《にえがわ》、日野あたりには棒神と唱えて雷槌《いかずち》を安置せるものありと聞きしまま、秩父へ来し次手《ついで》には、おおむかしのかたみの氷の雨塚というもののさまをも見おぼえおかんとおもいしまでなりしが、休めるところの鼻のさきにその塚ありと聞きては、心もはずみて興を増しつ、身を起してそこに行き見るに、塚は小高き丘をなして、丘の上には翠の葉かげ濃《こま》やかに竹美しく生い立ちたり。塚のやや円形《まるがた》に空虚《うつろ》にして畳二ひら三ひらを敷くべく、すべて平めなる石をつみかさねたるさま、たとえば今の人の煉瓦《れんが》を用いてなせるが如し。入口の上框《あがりかまち》ともいうべきところに、いと大なる石を横たえわたして崩れ潰《つい》えざらしめんとしたる如きは、むかしの人もなかなかに巧みありというべし。寒月子の図も成りければ、もとのところに帰り、この塚より土器の欠片《かけ》など出したる事を耳にせざりしやと問えば、その様《よう》なることも聞きたるおぼえあり、なお氷雨塚はここより少しばかり
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