なぞと自ら笑つてゐるといふ調子であつた。かつて聯句を試みたことが有つたが、すべて其調子だから、何も彼も構ふものでは無いので、其の自由自在で、おもしろいことと云つたら無かつた。其代り所謂宗匠に視せると、宗匠は苦《にが》い澁い顏をするもので、其の又宗匠のイヤな顏をするのを面白がつたものであつた。
 禪にも或時代には參したのであるが、參禪などしない中から寒月流の一家の悟りを開いてゐるのだから、そして又恐ろしい禪師に出會するやうな機縁も無かつたのであるから、傍《はた》から觀ると禪師の方は立派な師家であらうが、氏の方が中※[#二の字点、1−2−22]洒落てゐる。本所の五百羅漢寺で或時問答をしたのを、丁度誘引されて傍觀した事があるが、思ひ出しても涙がこぼれるほどおもしろかつた。禪師が侍者を具して威張り込んで椅子にかけてゐると、僧俗が交《かは》る/″\出て何か云ふ、應酬宜敷あるといふ次第だ。やがて氏が出て、何をいふかとおもふと、如何なるか是れらいうん、と何か分らない方角を指でさして問うた。予には何だか分らなかつた。「らいうん」なんて何の事だか誰にも分らなかつたらう。すると禪師は、先刻既に説了す、と答
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