騨の大匠《たくみ》も鰹節小刀《かつぶしこがたな》のみにては細工に困ずべし。されば善く射るものは矢を爪遣《つまや》りすること多く、美しく細工するものは刀を礪ぐこと頻りなり。如何ぞ書を能くするものの筆を撰まずといふことあらん、また如何ぞ下手のみ道具を詮議せん。知る可し、筆を撰まずといふは、たゞ書を能くするものの自在を称したるの言にして、書を能くするもの必ずしも筆を択まずといふにもあらず、又下手の道具詮議といふは、固より道具詮議をなすもの即ち下手なりといふにもあらず、下手のみ道具詮議をなすといふにもあらで、拙き人の自己《おの》が道具の精粗利鈍を疑ふやうなるをりを指して云へる語なることを。心の底浅くして鼻の端《さき》のみ賢き人々、多くは右の二つの諺を引きて、其諺の理に協へるや協はざるやをも考へで、筆を択み道具を論ずるなど重※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−6]しげに事を做すものを嘲るは、世の常の習ひながら、忌※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−6]しき我が邦人の悪《あし》き癖なり。卒然として事を做して赫然として功有らんことを欲するは、卑き男の痴《し
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