子は笑ひながら船を漕ぎ放して、弟の「きゃたつ」立てるところよりは三十間も距たりたらんと思はるゝところに船を止め、「きゃたつ」を立つ。此度は父上これに騎り玉ふ。父上、父上、よく釣り玉へなどいふ間に、舟子はまた舟を漕ぎ開きて、同じ三十間ばかり距たりたるところに「きゃたつ」を立つ。こたびは我これに跨がり、急ぎて鉤に餌を施し、先づこれを下して後はじめて四方《あたり》を見るに、舟子は既《はや》舟を数十間の外に遠ざけて、こなたのさまを伺ひ居れり。
 弟は如何に、父上はと見るに、弟も父上も竿を手にして余念も無げに水の上を見つめたるさま、更に憐む垂綸の叟、静かなること沙上の鷺の若《ごと》し、といへる詩の句も想ひ浮めらる。父上弟のみならず、眼も遥かに見渡す限りの人※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、173−14]「きゃたつ」に乗りていと静かに控へぬは無ければ、まことに脚長き禽の群れて水に立てるが如く、また譬へば野面に写真機を据えたるを見るが如し。腰を安んずるところ方一尺ばかりを除きては身の囲り皆水なれば、まことに傍観《わきめ》は心細げなれど、海浅くして沙平らかなるところの事とて、まことは危
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