又は納屋貸衆と云い、それが十人を定員とした時は納屋十人衆などと云ったのであった。納屋とは倉庫のことである。交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶《なお》幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大商業地に必要で有ったろうことは云うまでも無い。納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫品に対して何等かの商業上の便宜を与えもしたで有ろうから、勿論世間の為にもなり、自分の為にも利を見たのであろう。夙《つと》に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川|宣阿《せんあ》、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのか知れぬ。しかも納屋衆は殆ど皆、朝鮮、明、南海諸地との貿易を営み、大資本を運転して、勿論冒険的なるを厭《いと》わずに、手船《しゅせん》を万里に派し、或は親しく渡航視察の事を敢てするなど、中々一ト[#「ト」は小書き]通りで無い者共で無くては出来ぬことをする人物であるから、縦《たと》い富有の者で無い、丸裸の者にしてからが、其の勇気が逞《たくま》しく、其経営に筋が通り、番頭、手代、船頭其他のしたたか者、荒くれ者を駕馭《がぎょ》して行くだけのことでも相当
前へ 次へ
全67ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング