の人物で無くてはならぬのであったろうから、町の者から尊敬もされ、依信もされ、そして納屋衆と人民とは相持《あいもち》に持合って、堺の町は月に日に栄を増して行ったものであろう。後に至って、天正の頃|呂宋《ルソン》に往来して呂宋助左衛門と云われ、巨富を擁して、美邸を造り、其死後に大安寺となしたる者の如きも亦是れ納屋衆であった。永禄年中三好家の堺を領せる時は、三十六人衆と称し、能登屋《のとや》臙脂屋《べにや》が其|首《しゅ》であった。信長に至っては自家集権を欲するに際して、納屋衆の崛強《くっきょう》を悪《にく》み、之を殺して梟首《きょうしゅ》し、以て人民を恐怖せしめざるを得無かったほどであった。いや、其様《そん》な後の事を説いて納屋衆の堺に於て如何様の者であったかを云うまでも無く、此物語の時の一昨年延徳三年の事であった。大内義弘亡滅の後は堺は細川の家領《けりょう》になったが、其の怜悧《れいり》で、機変を能《よ》く伺うところの、冷酷|険峻《けんしゅん》の、飯綱《いづな》使《つか》い魔法使いと恐れられた細川政元が、其の頼み切った家臣の安富元家を此処の南の荘《しょう》の奉行にしたが、政元の威権と元家
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