はない。物に接することさへも出来ないのに、巧に事に処さんとするは、イロハも知らんで難しい字を書かんとするが如きものである。
 例へば、我が帽子、我が衣服の如きは我物であるから、如何《どう》扱つてもよいやうなものであるが、これを正当に扱ふには、やはり心の持ち方の良否《よしあし》があつて、其処に違つた結果を生じる。例へば帽子を冠るにもリボンの結目《ゆはひめ》を左にして冠るべきか右にして冠るべきか、その何方《どちら》かゞ正しければ、何方かゞ間違つてゐる。それを何方でも関はぬとすれば、それは物に接する道を失つた訳である。袴をはき付けぬ人が、袴をはいて袴腰を前にしたといふ笑話がある、袴の事は誰でも心得てゐて、誰でも当を得た接し方をするものであるが、さてその他の物に接すると、仲々さうは不可《いか》ぬもので、どうも帽子を逆さに冠つたり、袴を逆にはいたりするやうな過失に陥り勝ちなものである。
 さういふ事は何でもない、些細の事であると思ふけれども大変な大切な事で、その当を得ると得ぬとは、その人の心の有様を語つてゐるものである、その人の事業の順当に行くか行かぬかを語つてゐるものである。些細と見るのは間違
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