ろ》しいのです。ハハハ。
これは二百年近く古い書に見えている談《はなし》である。京都は堀川《ほりかわ》に金八《きんぱち》という聞えた道具屋があった。この金八が若い時の事で、親父にも仕込まれ、自分も心の励みの功を積んだので、大分に眼が利いて来て、自分ではもう内※[#二の字点、1−2−22]《ないない》、仲間の者にもヒケは取らない、立派な一人前の男になったつもりでいる。実際また何から何までに渡って、随分に目も届けば気も働いて、もう親父から店を譲られても、取りしきって一人で遣《や》って行かれるほどになっていたのである。しかし何家《どこ》の老人《としより》も同じ事で、親父はその老成の大事取りの心から、かつはあり余る親切の気味から、まだまだ位に思っていた事であろう、依然として金八の背後《うしろ》に立って保護していた。
金八が或時|大阪《おおさか》へ下《くだ》った。その途中|深草《ふかくさ》を通ると、道に一軒の古道具屋があった。そこは商買の事で、ちょっと一[#(ト)]眼見渡すと、時代蒔絵《じだいまきえ》の結構な鐙《あぶみ》がチラリと眼についた。ハテ好い鐙だナ、と立留って視ると、如何にも時代といい、出来といい、なかなかめったにはない好いものだが、残念なことには一方しかなかった。揃っていれば、勿論こんな店にあるべきものではないはずだが、それにしても何程《いくら》というだろうと、価《あたい》を聞くと、ほんの端金《はしたがね》だった。アア、一対《いっつい》なら、おれの腕で売れば慥《たしか》に三十両にはなるものだが、片方では仕方がない、少しの金にせよ売物にならぬものを買ったってどうもならぬと、何ともいえないその鐙の好い味に心は惹《ひ》かれながら、振返っては見つつも思い捨てて買わずに大阪へと下った。いくら好い物でも商売にならぬものを買わなかったところはさすがに宜かった。ところが、それから道の程を経て、京橋辺《きょうばしへん》の道具屋に行くと、偶然といおうか天の引合せといおうか、たしかに前の鐙と同じ鐙が片方あった。ン、これが別れ別れて両方|後家《ごけ》になっていたのだナ、しめた、これを買って、深草のを買って、両方合わせれば三十両、と早くも腹の中で笑《えみ》を含んで、価を問うと片方の割合には高いことをいって、これほどの物は片方にせよ稀有《けう》のものだからと、なかなか廉《やす》くない。仕方がないから割に高いけれども、腹の中に目的があるので、先方のいい値《ね》で買って、わが家へ帰ると直《すぐ》にこの話をした、勿論親父に悦ばれるつもりであった。すると親父は悦ぶどころか大怒《おおおこ》りで、「たわけづらめ、慾に気が急《せ》いて、鐙の左右にも心を附けずに買いおったナ」と罵《ののし》られた。金八も馬鹿じゃなかった。ハッと気が付いて、「しまった。向後《きょうこう》気をつけます、御免なさいまし」と叩頭《おじぎ》したが、それから「片鐙《かたあぶみ》の金八」という渾名《あだな》を付けられたということである。これは、もとより片方しかなかった鐙を、深草で値を付けさせて置いて、捷径《ちかみち》のまわり道をして同じその鐙を京橋の他の店へ埋めて置いて金八に掘出させたのだ。心さえ急かねば謀《はか》られる訳はないが、他人にして遣《や》られぬ前にというのと、なまじ前に熟視《じゅくし》していて、テッキリ同じ物だと思った心の虚《きょ》というものとの二ツから、金八ほどの者も右左を調べることを忘れて、一盃《いっぱい》食わせられたのである。親父はさすがに老功で、後家の鐙を買合《かいあわ》せて大きい利を得る、そんな甘《うま》い事があるものではないというところに勘《かん》を付けて、直《すぐ》に右左の調べに及ばなかったナと、紙燭《ししょく》をさし出して慾心の黒闇《くらやみ》を破ったところは親父だけあったのである。勿論深草を尋ねても鐙はなくって、片鐙の浮名《うきな》だけが金八の利得になったのである。昔と今とは違うが、今だって信州と名古屋とか、東京と北京《ペキン》とかの間でこの手で謀られたなら、慾気満※[#二の字点、1−2−22]《よくけまんまん》の者は一服《いっぷく》頂戴せぬとは限るまい。片鎧の金八はちょっとおもしろい談《はなし》だ。
も一ツ古い談《はなし》をしようか、これは明末《みんまつ》の人の雑筆に出ているので、その大分に複雑で、そしてその談中に出て来る骨董好きの人※[#二の字点、1−2−22]や骨董屋の種※[#二の字点、1−2−22]の性格|風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》がおのずと現われて、かつまた高貴の品物に搦《から》む愛着や慾念の表裏が如何様《いかよう》に深刻で険危なものであるということを語っている点で甚だ面白いと感ずるのみならず、骨董というものについて一種の淡
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