かりなり。
上人庭下駄脱ぎすてて上にあがり、さあ汝《そなた》も此方《こち》へ、と云いさして掌《て》に持たれし花を早速《さそく》に釣花活《つりはないけ》に投げこまるるにぞ、十兵衛なかなか怯《お》めず臆《おく》せず、手拭《てぬぐい》で足はたくほどのことも気のつかぬ男とてなすことなく、草履脱いでのっそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突き合わすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼する態《さま》は、礼儀に嫻《なら》わねど充分に偽飾《いつわり》なき情《こころ》の真実《まこと》をあらわし、幾たびかすぐにも云い出でんとしてなお開きかぬる口をようやくに開きて、舌の動きもたどたどしく、五重の塔の、御願いに出ましたは五重の塔のためでござります、と藪《やぶ》から棒を突き出したように尻《しり》もったてて声の調子も不揃《ふぞろ》いに、辛くも胸にあることを額やら腋《わき》の下の汗とともに絞り出せば、上人おもわず笑いを催され、何か知らねど老衲《わし》をば怖《こわ》いものなぞと思わず、遠慮を忘れてゆるりと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込《こ》うで動かずにいた様子では、何か深う思い詰めて来たことであろう、さあ遠慮を捨てて
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