の勝れた為でも無く、神霊灼乎たるわけでもなくて猶ほ盛んなものがあつたならば、夫は大抵博奕の為に出来た町と想像が付く。甲州然り、武州然り、筑波、日光然り。夫れが今日は避暑や逍遥の地になつて居ると云ふも、又た時勢の変遷面白いものではない乎。
斯《かう》して到る処に博奕が盛んになり博徒が多くなると、自然他所他国の親分達の面を合せる場合も多いから、互に敵愾心も起らう、自負心も負けじ魂も湧かう、勢ひ親分でも子分でも互に人間を磨き、他の組には笑はれまいといふ、無言の中に一致した愛党心も出来る。つまりが互に一種の面目を重んじて、一種の男らしい精神を発揮して来る。所在の子分が亦其の風を聞いて、千里を遠しとせずして有名な親分の下に奔せ集まると云つた姿である。博奕其のものの善悪は論外として、其の親分なるものの性格には洵に※[#「※」は「しんにょう」+「台」、読みは「およ−ぶ」、第3水準1−92−53、199−15]《およ》び難い美点があつた。講釈師の捉へた侠客は即ち之れである、此の呼吸を張扇で叩き出して、聴客をして血湧き骨躍らしむるものである。之と違つて、人入れを専門とする者は、多少前者と関聯して居るに
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