夫れと共に山の上には山の神を祭つた祠がある、此の山の神の祭日は即ち大賭場の開かれる日で、此日は地方近在の博徒の親分子分が皆な集まる許りで無い、素人即ち所謂「客人」が大金を馬につけて運んで来て、賭博を茲に試みるのを楽しみにして居た。つまり中世乱離の頃は戦争と博奕といふものが密接な関係を有して居たのが、末代太平の世には山の祭と云ふものと博奕とが大きな関係を持つやうになつた。又山は上代にあつては所謂|※[#「※」は「おんなへん」+「羽(上部)」+「隹(下部)」、読みは「チョウ」、第3水準1−15−93、199−1]歌《かゞひ》や歌垣で、若い男女の縁結《えんむすび》の役目を勤めて居たものだが、末代になつては博徒のために男を磨く戦場の役目を務めて居る。斯《かく》て博奕を為すに適当な便宜のある山は極めて繁昌し、駅場も大きくなつた。夫れで若し山霊をして、当時其の山に開帳された大博奕の光景や各親分の性行を語らしめたならば、講釈師が張扇で叩き出すやうな作り話では無く、本当の面白い侠客伝が何程出来ることであらう。従つて今日存在して居る山の上に在る大きな町で、別に貨物集散の中枢となつた訳でも無く、又別に風景
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