明の病気に襲はれた。其頃は世間に神経衰弱といふ病名が甫《はじ》めて知られ出した時分であつたのだが、真に所謂神経衰弱であつたか、或は真に漫性胃病であつたか、兎に角医博士達の診断も朦朧《もうろう》で、人によつて異る不明の病に襲はれて段※[#二の字点、1−2−22]衰弱した。切詰めた予算だけしか有して居らぬことであるから、当人は人一倍|困悶《こんもん》したが、何様《どう》も病気には勝てぬことであるから、暫く学事を抛擲《はうてき》して心身の保養に力《つと》めるが宜いとの勧告に従つて、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]気《かうき》を吸ふべく東京の塵埃を背後《うしろ》にした。
 伊豆や相模の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分では無いから、房総海岸を最初は撰んだが、海岸は何様も騒雑の気味があるので晩成先生の心に染まなかつた。さればとて故郷の平蕪《へいぶ》の村落に病躯を持帰るのも厭はしかつたと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日或は三日五日と、それこそ白雲の風に漂ひ、秋葉の空に飄《ひるがへ》るが如くに、ぶらり/\とした身の中に、もだ/\
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