い大将である、仁義の人であると思われようとする場合には、寒風雨雪の夜でも押切って宿舎する訳には行かない。憎いとは思いながらも、非常の不便を忍び困苦を甘受せねばならぬ。斯様《こう》いう民衆の態度や料簡方《りょうけんかた》は、今では一寸想像されぬが、中々|手強《てごわ》いものである。現に今語ろうとする蒲生氏郷は、豊臣秀吉即ち当時の主権執行者の命によりて奥羽鎮護の任を帯びて居たのである。然るに葛西《かさい》大崎の地に一揆《いっき》が起って、其地の領主木村父子を佐沼の城に囲んだ。そこで氏郷は之を援《たす》けて一揆を鎮圧する為に軍を率いて出張したが、途中の宿々《しゅくじゅく》の農民共は、宿も借さなければ薪炭など与うる便宜をも峻拒《しゅんきょ》した。これ等は伊達政宗の領地で、政宗は裏面は兎に角、表面は氏郷と共に一揆鎮圧の軍に従わねばならぬものであったのである。借さぬものを無理借りする訳には行かぬので、氏郷の軍は奥州の厳冬の時に当って風雪の露営を幾夜も敢てした困難は察するに余りある。斯様いう場合、戦乱の世の民衆というものは中々に極度まで自己等の権利を残忍に牢守《ろうしゅ》している。まして敗軍の将士が
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