ろが一寸面白い。氏郷の肚《はら》は闊《ひろ》いばかりでなく、奥深いところがあった。
斯様いう性格で、手厳しくもあり、打開けたところもあり、そして其能は勇武もあり、機略もあった人だが、其上に氏郷は文雅を喜び、趣味の発達した人であった。矢叫《やたけ》び鬨《とき》の声《こえ》の世の中でも放火殺人専門の野蛮な者では無かった。机に※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]《よ》りて静坐して書籍に親んだ人であった。足利以来の乱世でも三好実休や太田道灌や細川幽斎は云うに及ばず、明智光秀も豊臣秀吉も武田信玄も上杉謙信も、前に挙げた稲葉一鉄も伊達政宗も、皆文学に志を寄せたもので、要するに文武両道に達するものが良将名将の資格とされて居た時代の信仰にも因ったろうが、そればかりでも無く、人間の本然《ほんねん》を欺き掩《おお》う可からざるところから、優等資質を有して居る者が文雅を好尚するのは自からなることでも有ったろう。今川や大内などのように文に傾き過ぎて弱くなったのもあるが、大将たる程の者は大抵文道に心を寄せていて、相応の造詣《ぞうけい》を有して居た。我儘《わがまま》な太閤《たいこう》殿下は「奥山に紅葉《もみ
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