うのもあって、病とか邪気とかいうのと同じ位の広い意味を有して居て、又一般にただ風といえば気狂《きちがい》という意で、風僧といえば即ち気狂坊主である。中風の中は上中下の中では無いと思われるから下風とは関せぬ。これは仏経中の翻訳語で、甚だ拙な言葉である。風は矢張りただの風で、下風は身体《からだ》から風を泄《も》らすことである。鄙《いや》しい語にセツナ何とかいうのが有る、即ちそれである。其人が心弱くて、戦争とさえ云えば下風おこる、とても武士にはなりきらぬ故に甲冑《かっちゅう》を脱ぎ捨てて法衣を被《き》よ、というのが一首の歌の意である。これが果して賢秀の上を嘲《あざけ》ったとならば、賢秀は仕方の無い人だが、又其子に忠三郎氏郷が出たものとすれば、氏郷は愈々《いよいよ》偉いものだ。然し蒲生家の者は、其歌は賢秀の上を云ったのでは無く、賢秀の小舅《こじゅうと》の後藤末子に宗禅院という山法師があって、山法師の事だから兵仗《へいじょう》にもたずさわった、其人の事だ、というのである。成程|然様《そう》でなければ、法衣めせの一句が唐突過ぎるし、又領主の事を然様|酷《ひど》く嘲りもすまいし、且又賢秀は信長に「義
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