、全く其方一手の為に全軍の勝となった、という感状を政宗から受けた程の勇者である。戦場には老功、謀略も無きにあらぬ中々の人物で、これも早くから信長秀吉の眼の近くに居たら一ヶ国や二ヶ国の大名にはなったろう。政宗元服の式の時には此の藤五郎成実が太刀《たち》を奉じ、片倉小十郎景綱が小刀《しょうとう》を奉じたのである。二人は真に政宗が頼み切った老臣で、小十郎も剛勇だが智略分別が勝り、藤五郎も智略分別に逞《たくま》しいが勇武がそれよりも勝って居たらしい。
其藤五郎成実が主人の上を思う熱心から、今や頭を擡げ眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、藤五郎存ずる旨を申上げとうござる、秀吉関東征伐は今始まったことではござらぬ、既に去年冬よりして其事定まり、朝命に従い北条攻めの軍に従えとは昨年よりの催促、今に至って小田原へ参向するとも時は晩《おく》れ居り、遅々緩怠の罪は免るるところはござらぬ、たとえ厳しく咎《とが》められずとも所領を召上げられ、多年|弓箭《ゆみや》にかけて攻取ったる国郡をムザムザ手離さねばならぬは必定の事、我が君今年正月七日の連歌《れんが》の発句に、ななくさを一[#(ト
前へ
次へ
全153ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング