四度も我が思う通りに出ぬものである以上は勝てようの無いことは分明だ。そこで、残念だが仕方が無い、小田原が潰《つぶ》されて終ってからでは後手《ごて》の上の後手になる、もう何を擱《お》いても秀吉の陣屋の前に馬を繋《つな》がねばならぬ、と考えた。そこで、何様である、徳川殿の勧めに就こうかと思うが、といいながら老臣等を見渡すと、ムックリと頭《こうべ》を擡《もた》げたのが伊達藤五郎|成実《しげざね》だ。
 藤五郎成実は立派な奥州侍の典型だ。天正の十三年、即ち政宗の父輝宗が殺された其年の十一月、佐竹、岩城以下七将の三万余騎と伊達勢との観音堂の戦に、成実の軍は味方と切離されて、敵を前後に受けて恐ろしい苦戦に陥った。其時成実の隊の下郡山内記《したこおりやまないき》というものが、此処で打死しても仕方が無い、一旦は引退かれるが宜くはないか、と云った折に、ギリギリと歯を切《くいしば》って、ナンノ、藤五郎成実、魂魄《たましい》ばかりに成り申したら帰りも致そう、生身で一[#(ト)]歩《あし》でも後へさがろうか、と罵《ののし》って悪戦苦闘の有る限りを尽した。それで其戦も結局勝利になったため、今度《このたび》の合戦
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