先生で、麦の炊き方を知らないで信玄にお坊ッちゃんだと笑われた。下女が乱暴に焚付《たきつけ》を作ることまで知った長氏に起って、生の麦を直《すぐ》に炊けるものだと思っていた氏政に至って、もう脉《みゃく》はあがった。麦の炊きようも知らない分際で、台所奉行から出世した関白と太刀打《たちうち》が出来るものでは無い。関白が度々|上洛《じょうらく》を勧めたのに、悲しいことだ、お坊さん殻威張《からいば》りで、弓矢でこいなぞと云ったから堪《たま》らない。待ってましたと計《ばか》りに関白の方では、此の大石を取れば碁は世話無しに勝になると、堂々たる大軍、徳川を海道より、真田《さなだ》を山道より先鋒《せんぽう》として、前田、上杉、いずれも戦にかけては恐ろしく強い者等に武蔵、上野、上総《かずさ》、下総《しもうさ》、安房《あわ》の諸国の北条領の城々六十余りを一月の間に揉潰《もみつぶ》させて、小田原へ取り詰めた。
 最初北条方の考では源平の戦に東軍の勝となっている先蹤《せんしょう》などを夢みて居たかも知れぬが、秀吉は平家とは違う。おまけに源平の時は東軍が踏出して戦っているのに、北条氏は碌《ろく》に踏出しても居ず、ま
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