する士《さむらい》どもを手なずけて終《つい》に伊豆相模に根を下し、それから次第に膨脹《ぼうちょう》したのである。此の早雲という老夫《おやじ》も中々食えない奴で、三略の第一章をチョピリ聴聞すると、もうよい、などと云ったという大きなところを見せて居るかと思うと、主人が不取締だと下女が檐端《のきば》の茅《かや》を引抽《ひきぬ》いて焚付《たきつ》けにする、などと下女がヤリテンボウな事をする小さな事にまで気の届いている、凄《すさま》じい聡明《そうめい》な先生だった。が、金貸をしたというのは蓋《けだ》し虚事ではなかろう。地生《じおい》の者でも無し、大勢で来たのでも無し、主人に取立てられたと云うのでも無し、そんな事でも仕無ければ機微にも通じ難く、仕事の人足も得難かったろう。明治の人でも某老は同国人の借金の尻拭いを仕て遣り遣りして、終におのずからなる勢力を得て顕栄の地に達したという話だ。嘘《うそ》八百万両も貸付けたら小人島《こびとじま》の政治界なんぞには今でも頭の出せそうに思われる理屈がある。で、早雲は好かったが、其後氏綱、氏康、これも先ず好し、氏康の子の氏政に至っては世襲財産で鼻の下の穴を埋めて居る
前へ 次へ
全153ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング