たこととすれば、氏郷は宜いが政宗は甚《いた》く器量が下がる。但し果して事実であったか何様《どう》かは疑わしい。政宗にも氏郷にもゆかりは無いが、政宗の為に虚談想像談で有って欲しい。政宗こそ却《かえ》って今歳《ことし》天正の十八年四月の六日に米沢城に於て危うく毒を飼わりょうとしたのである。それは政宗が私に会津を取り且つ小田原参向遅怠の為に罪を得んとするの事情が明らかであったところから、最上《もがみ》義光に誑《たぶら》かされた政宗の目上が、政宗を亡くして政宗の弟の季氏《すえうじ》を立てたら伊達家が安泰で有ろうという訳で毒飼の手段を廻らした。幸にそれは劇毒で、政宗の毒味番が毒に中《あた》って苦悶《くもん》即死したから事|露《あら》われて、政宗は無事であったが、其為に政宗は手ずから小次郎季氏を斬《き》り、小次郎の傅《もり》の小原縫殿助《おばらぬいのすけ》を誅《ちゅう》し、同じく誅されそこなった傅の粟野藤八郎は逃げ、目上の人即ち政宗の母は其実家たる最上義光の山形へ出奔《いではし》ったという事がある。小次郎を斬ったのは鈴木七右衛門だったとも云う。これも全部は信じかねるが、何にせよ毒飼騒ぎのあったこと
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