中に埋めた霧が、今朝はあとも無く晴れて、大湖を繞《めぐ》る遠い山々の胸や腰のあたりに白雲が搖曳《えうえい》してゐるばかりで、男體山は右手の前面に湖岸から直ちに四千尺の高さをもつて美しい傾斜で、翠色|滴《したゝ》るばかりに聳え立つてゐる。山が自然の作用によつて條をなして崩れて襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》のやうなものを造り出すのを、ゾレといふ國もありナギといふ國もあるが、男體山は頂上まで滿山樹木が茂つてゐるので、そのいはゆるナギの少いのは、人をして山に對してなつかしい和《やは》らかな感じをもたしむる所以で、それが加之《しかも》清らかに澄みきつた萬頃《ばんけい》の水の上にノッシリと臨んでゐるところは、水晶盤上に緑玉を堆《うづたか》うすとでもいひたい氣がする。二荒山神社及びその附近の人家が昨夜は霧のために遠く想はれたが、今朝は近々《ちか/″\》と指點し得るだけ空氣が明るいので、眼を男體山から左方へ移すと、連山が肩をつらね手を接して爭ひ立ち並び圍んでゐる中に、前白根奧白根が流石《さすが》にそれとうなづかせるだけの勇姿を示して、まだ殘つてゐる谷の雪が銀白の光を見せて
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