》を下げたやうにそれとうなづかるゝものがかすかに透かして見えた。山氣と嵐氣と暮氣とは刻々に懷《ふところ》に迫つて、幽奧の境、蒼茫の態、一聲|鳥《とり》だに啼かず、千古水いたづらに落つる景、丁度人去つて霧卷くこの時に會つて、却つて原始的の状を味はふことは出來て幽趣無きにあらずでは有つたが、これだけでは仕方が無い、いづれあとは又明日と車に上つた。
時計を見ると七時五分であつた。そこで東京上野からは正しく僅々《きん/\》五時間で八景の一たる景勝が連接されてゐると思ふと、莞爾《くわんじ》として滿足欣快の感のわき上《あが》るのを覺えた。五時間である。僅に五時間である。それで海拔四千尺の地に、直下七十何間(七十五丈ともいふ、説はまち/\だ)の大瀑布に對し、白樺や山毛欅《ぶな》や唐松《からまつ》の梢吹く凉しい風に松蘿《さるをがせ》の搖ぐ下に立つことが出來るかと思ふと、昭和の御世《みよ》が齎らしてゐる文明が今のわれ等を祝福してゐてくれると誰も感ぜずには居られまい。
車は忽ち電燈の光の華やぐ旅館の門並の前を過ぎて、朱の鳥居の見ゆるところに來た。中禪寺へ着いたなと思ふ間もなく、華嚴の瀧の上流である湖尻
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