ば登れぬところも有つて、山嘴《さんし》突端の逆行は餘り好い心持では無い。けれど日光自動車に事故はかつて無いといふ歴史を信じて談笑してゐる中に、般若方等の瀧徑も後に段々樹深く山深く入つて、溪添路は殊更に夕霧の深くなる中を大平へ着いた。
 霧は可なり濃くなつて何もはつきりとは見えず、夏の長き日も暮かゝつて來るので、わが乘つた車の轟きも或時は奇妙に反響《こだま》して、瀧の轟きが聞えるのでは無いかと疑つたりした。大平と聞いたので車を止めて下り立つた。瀧見臺へかゝつた。こゝは華嚴の瀧をその三分の二位の高さに當るところから望むところで、三十年も前には人々は大抵こゝから瀧を見るのみであつた。古い記憶は丁度今起つてゐる霧の立隔てゝゐるやうになつてゐるその中をたどつて、瀧を見るべき突端に至つた。客を接する人も居らず、岑閑《しんかん》とした霧の暮に、あらい金網を張つてゐる危ふげな突端にいたると、一谷|呀然《がぜん》として開けて、たゞ白煙蒼霧の埋めてゐるかなたに、恐ろしい瀧の音が不斷の響きを立てゝゐるばかりであつた。心當《こゝろあて》にかなたと思はるる方をぢつと見てゐると眞白な霧の中に薄々と、薄青い帛《きぬ
前へ 次へ
全36ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング