近江|蟄居《ちつきよ》の時、琵琶湖付近の景を瀟湘八景に擬して當時の人々から詩歌などを得た。それがいはゆる近江八景のはじまりだが、白石でさへ、好い景色は何も八景には限らないことだのに、景としては夜雨、秋月、歸帆、落雁ならぬはないのは餘り不雅《ふが》なことである、と厭《いと》はしく思つてゐる。も一つ又八景については、徳川期最初の大儒の惺窩《せいくわ》先生がその市原山莊に八景を擇んで人々の詩歌を得たことがある。そんなこんなで八景といふことを段々人がいふやうになつたのだが、その市原山莊の八景沙汰も契沖《けいちゆう》は雜々記に餘りよくはいつてゐない。とにかくに江戸期はこんな譯で八景を擇むことは大流行を來し、少し眺望《ながめ》が好いところは何八景彼八景といつたものだが、いづれも復古や玉澗の餘唾《よだ》で、有難くないことだつた。ところが今度の八景は、すつかりさういふ古軌道にあづからず、新眼新選、廣く大八洲内から八勝を選んで、一景一面目、各※[#二の字点、1−2−22]その美を揚ぐるやうにせしめたのは、景色觀賞においての畫時代的記録を作つたもので甚だ愉快である。
と、こんなことを語つたり思つたりして
前へ
次へ
全36ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング