を止めさせた。舊い頃では橘《たちばな》南谿《なんけい》と共に可成り足跡《そくせき》が廣く、且又同じく紀行(漫遊文草)を遺した澤元※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]《たくげんがい》が、この中岩を稱して、その上で酒など飮んでゐる事がその文によつて記臆に存してゐたからである。車を下りて靜かに四方を見ると、鬼怒川が北から來つてこの巖にせかれて、分れて深潭をなし、※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]廻《えいくわい》して悠揚|逼《せま》らず南に晴れやかに去る風情はまことに面白く、兩岸の巖壁沙汀のさまも好く、松や雜樹《ざふき》の畫意《ゑごゝろ》に簇立《むらだ》つてゐるのもうれしい。安成子は河原へ下り立つて寫眞を撮《と》つた。

    八

 中岩より以北の道路は水をはなれるので景色は平凡になる。中岩の奇は平凡の中に突として奇をほしいまゝにしてゐるので愈※[#「二の字点」、1−2−22]妙なのである。しかし鬼怒川の兩岸は、中岩以北も相當に太古よりの秋霖春漲に洗ひ出されて巖壁を露《あら》はしてゐることだらう、隨つて細《こま》かに川筋を見たら美しいところもあるだ
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