野の杉山、碇《いかり》が關《せき》の杉山、いづれも好い心持のところであるが、特《こと》に此處は好い。たゞ行末齒の脱けたやうにならぬことを望むのみである。
 今市より北折して會津へ至る道も、神々《かう/\》しさは餘程缺けるが同じく杉並木が暫くは續く。田舍《ゐなか》びて好い路で、菅笠|冠《かぶ》つた人でも通りさうな氣がする。大谷川がもう恐ろしく發達して大きな河原になつてゐるのを越して、車はひた走りに大桑といふを過ぎると、頓《やが》て稀有なる好景に出會した。それは石壁の岸高きが下に碧潭深く湛へてゐる一大河に架《かゝ》つてゐる橋が、しかも直《たゞち》に對岸にかゝつてゐるのでは無く、河中の一大巨巖が中流に蟠峙《ばんぢ》して河を二分してゐる其巨巖に架つてゐるので、橋は一旦巖上に中絶した如くなつて後に、また新に對岸に架《わた》されてゐるのである。丁度東京の相生橋《あひおひばし》と同じやうな状であるが、其の中島が素ばらしい大きな一つ巖であるのが、目ざましくも稀《めづ》らしい景色をなしてゐる。自分は初めてこの路を通つたのであるが、こゝに差掛かると同時に、これが鬼怒川《きぬがは》の中岩であるなと心付いて車
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