降の麗はしい相《すがた》は見えた。華嚴は男性美、霧降は女性美、一は直條的、一は曲折的、一は太い線、一は纖《ほそ》い線、巖の樣子もまた二者の間に相應した差があつて、霧降の瀧の美しさは、瀑布の形容によく素練《それん》などといふ字を使ふが、素練などといつたのでは端的にその實《じつ》は寫し得ない。しなやかに細い多くの線をなして麗はしく輝やかしく落下《おちくだ》る美しさは、恰も纖く裂いた絖《ぬめ》を風に晒《さら》して聚散させたを觀るやうな感じである。雄偉は華嚴にとゞめをさす、妍麗は霧降を首位とする。わざ/\鑑賞するだけの價値は十分にある。
 日光の美の中で、他にまだ看過《かんくわ》し難いものがある。それは街道の杉並木である。平泉澄氏の撰の東照宮志にこの並木の事は詳しく出てゐる。並木といへば何でも無いもののやうであるが、實に此も亦人の爲《し》たことの美しい一つである。で、今市までその並木の下を走らせて、わが國人の心の姿であり、神の愛したまふ相である正直其物の杉の樹蔭に、翠影甚だ濃く凉氣おのづから湧くすが/\しさを十分に味はつた。神路山《かみぢやま》の山路、日光の例幣使街道、春日《かすが》の參道、芳
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